「センパイに会いたい」今のわたしが作られるまでの軌跡

レースラフティング世界チャンピオン

小泉 聡さん

こいずみ さとし

千葉県出身。2010年3月経済学部卒業。大学時代からプロラフティングチームに練習生として参加し、2011年には同チームとプロ契約を締結。同年に世界選手権で優勝。その後は惜しくも優勝を逃す年が続くも、2023年に世界一に返り咲く。現在は現役を引退し、コーチとして後進の育成にあたっている。

プロ契約直後に世界一に輝くも
再びの優勝を逃し続け、
キャプテンとして苦悩。
復活の金メダルを掴んで知った
「最も大切なこと」

レースラフティングの世界チャンピオンで、現在はコーチとして活躍する小泉聡さん。大学在籍中にレースラフティングチーム「テイケイ」に練習生として飛び込み、2度の世界一に輝いている。

「私がテイケイの練習生になったのは、大学3年生の2月。朝5時に練習所で待ち伏せて、『チームに入れてほしい』と直談判しました(笑)。
それからは、ラフティングにのめり込む毎日。大学卒業後の一年間は、アルバイトをしながら練習生として参加し、チームが日本初の世界一になるのをサポートメンバーとして間近で見ました。そして翌年にプロ契約を結ぶと、今度は選手として世界選手権で優勝します。
しかし、そこからはなかなか優勝することができなくて。2017年の世界選手権は自国開催で、優勝を期待されましたが、結果は2位。私はキャプテンだったので、責任を感じてひどく落ち込みました」

2017年からの2年間は、まさにどん底だったという。キャプテンとしての自分に自信をもてなくなり、周りの顔色を伺うばかりになってしまった。そして2019年にキャプテンを辞任する。

それでも、小泉さんは復活を果たす。

「2019年の世界選手権で負けた後、長らく一緒にプレーしてきたチームメイトに『やりたいようにやってほしい』と助言をもらったんです。また、キャプテンを辞して離れたところからチームを見たり、同年に優勝したブラジルチームに会いに行ったりするなかで、自分の視野が狭まっていることに気づきました。

そんな折、監督から『もう一度キャプテンをやってほしい』と言われて。反省や学びを活かし、周りの意見を尊重しながらも、チームが目指すべき姿を描き、導くことを徹底しました」

そうして掴んだのが、2023年の世界一だ。金メダルを手にした今、小泉さんは心境をこう語る。

「ずっと夢見てきた2度目の世界一を成し遂げられたことはもちろんうれしいです。でも、本当に大切なことは、結果よりも過程にあると気づきました。仲間と試行錯誤して、努力して、できなかったことができるようになる。目の前のことを一生懸命にやって道を切り開くことに、私は達成感を覚えるのだと再認識したんです。
実はこの価値観は、大学時代から変わりません。アドベンチャークラブの仲間たちとキルギス共和国の長い街道を歩いたとき、数々の困難に見舞われて計画が狂いながらも、ゴールする術を共に考え、歩き続けました。今思えば、私はあのときからずっと壁を乗り越える過程を楽しんでいるのだと思います」

「この記事を読んでいる学生さんたちのなかには、将来に悩んでいる方も多いはず。そんなときはぜひ、目の前のやりたいことに全力になってみてください。きっと、その先に次のステップが見えてくるはずです」

そんな小泉さんが次に目指すのは、コーチとしてチームを優勝に導くことだ。

「昨年10月に現役を引退し、今はコーチとしてチームの指導にあたっています。選手たちと一緒に見据えるのは、2024年のアメリカ大陸選手権、そして2025年の世界選手権です。選手たちの『自ら考え、壁を乗り越える力』を育て、優勝を目指します!」

MY TURNING POINT

大学時代はアドベンチャークラブに在籍し、その活動のなかでラフティングとも出合う。
最も印象に残っている活動は、19歳の夏、2人の仲間とキルギス共和国の街道を歩いたこと。
「406kmにも及ぶ長い街道を、ホームセンターで買った麻袋に荷物を詰め込んで歩きました。途中にあった77kmの峠道を超えたときは、大使館の方に『徒歩であの峠を越えたのは孫悟空以来だよ』と言われましたね(笑)。計画を修正しながら何とかゴールを迎えたときの喜びは忘れられません」

RANKING